5年間の長期留学ストーリー


Wataru Kodaka

国内中学 → 海外中学 → 海外高校 → 上智大学

中学1年 9月 私立中学に入学するが、夏休み以降学校に行かなくなるicon_to_top
中学2年 8月 オーストラリア・カウラに2週間の短期留学icon_to_topサポート&アドバイス→❶
中学2年
10月~12月
再びカウラへ。今度は2ヶ月間の中期留学に挑戦icon_to_top
中学2年 1月 カウラの現地私立校に正規留学icon_to_top
サポート&アドバイス→❷
中学3年 6月頃 ホストファミリーとトラブル発生icon_to_top
サポート&アドバイス→❸→❹
中学3年 10月 ゴールドコーストのロビーナへ転居。最初の2ヶ月間は語学 学校へicon_to_top
サポート&アドバイス→❺
中学3年 1月 ロビーナの公立校に転校。正式に入学icon_to_top
中学3年 春 再び9年生。ロビーナの野球チームに所属icon_to_top
ロビーナでの新しいステイ先icon_to_top
高校2年 ロビーナでステイ先を変更icon_to_top
高校2年 日本での大学受験を見据え、勉強開始icon_to_top
高校3年 9月 上智大学 帰国子女枠入試。総合人間科学部合格icon_to_top
高校3年10月 日本に正式帰国icon_to_top

 

 

icon_to_top中1の夏、日本の私立中学で不登校になる(2009年)

中学受験をし、私立中学へ入学。進学したのは第三志望の中学だったが、野球部に入部し、練習に励む。しかし、練習漬けの毎日と厳しい上下関係に次第に嫌になる。辛い日々を過ごすも相談することもできず、夏休み以降学校に行かなくなる。友達関係も構築する前に不登校になってしまったため、余計に足が遠のいた。両親とは何度も話し合い、しばらくは家庭教師をつけながら家庭学習をしていた。とにかく学校が嫌だということで頭がいっぱいで、このときは先々のことを考える余裕がなかった。

 

icon_to_top中2の夏、オーストラリアへ2週間の短期留学(2010年)

不登校のまま、中学2年に。この頃、母から「日本の学校が嫌なら海外に行ってみない?」と勧められる。母親自身、ワーキングホリデーでオーストラリアに滞在経験があり、自分も小学生の頃に親とオーストラリア旅行をしたことがあり、楽しくていい国だという印象があった。自分自身、このままずっと学校に行かないわけにもいかないと思っていたので、海外であるなら行けるかも、と思った。

夏、まずは2週間の短期留学から始めることに。場所はオーストラリアの内陸部にあるカウラ。英語はまったくできなかったが、言葉がわからなくても現地では誰もが優しく接してきてくれた。「ここならやっていける」とピンときた。特に、カウラでは日本人も珍しいので、自分から積極的にアプローチしなくても周りから声をかけてくれるのでありがたかった。カウラは田舎なので、放課後は小学生時代習っていたテニスを楽しんだ。その様子を見た親から「日本で学校に行かずに家にいるなら、オーストラリアの学校に行ったら?」と勧められる。学校生活も楽しく、日本人がいないカウラならさらに気楽でいいと思った。

 

icon_to_top中2の10月、再びオーストラリアへ(2010年)

10月、再びオーストラリアへ。今回は12月までの2か月間。長期留学を見据えての留学だった。ホストファミリーは日本人男性。現地で農場を経営している。

 

icon_to_top中2の1月、正式に現地私立校に入学(2011年)

1月、現地私立校に正式に入学。夏、秋とともに留学していた学校なので安心だった。滞在先もこれまでと同じ日本人男性のところ。オーストラリアは教師が高圧的でなく、干渉してくることもほどんとない。学年が違うだけで厳しい上下関係もない。不登校になった原因でもある、日本ならではの煩わしいしがらみがないのが良かった。日本では友達同士も集団単位で動くが、オーストラリアでは個々で動く。自由な環境が合っていた。空気は澄んでいて、環境もよく、スポーツにも打ち込める。現地校は楽しかった。半年も経つとすっかり馴染んだ。カウラは学校が2校しかない田舎。都会と違って、素朴でいい人が多かった。街遊びはできなくても、友達と家で遊んだり、キャンプしたり、楽しかった。

 

icon_to_top6月、ホストファミリーとトラブルに(2011年)

当初は順調だったが、半年ほど経ってからホストファミリーとの間に金銭トラブルが起こり始めた。空港までの往復送迎代を割増で請求されたり、個人的なことにも口を挟んできた。次第に疎ましく感じるようになった。日本人の20代男女がワーキングホリデーで同じホストファミリーのもとに2~3ヶ月間滞在していたとき、彼らにも相談した。すると、「よくわかる。自分たちも金銭トラブルで揉めている」と話していた。それを聞いたら涙が出た。仕事を手伝っているのに就労ビザを出すのを拒んだり、ほかの人とも何かとトラブルがあったようだ。現地校での生活が楽しかったため、転校せずに済むよう最初は親にも相談せず、自分1人で解決できないかと模索していた。が、耐え切れず、7月頃、親に事情を説明した。

 

icon_to_top中3の10月、ゴールドコーストへ転居

心配した親が万浪さんと連絡をとり、カウラから離れてゴールドコーストに転校することになった。現地では母と万浪さんと一緒に学校を見て回った。ホストファミリーは万浪さんに任せていた。母たちは1週間ほどで日本に帰国した。学校が正式に決まるまでの2ヶ月間はゴールドコーストの語学学校に通うことになった。

 

icon_to_topゴールドコースト・ロビーナの公立中学へ転校。学校選びの決め手は「野球」

引っ越した先はゴールドコーストのロビーナ。日本人も多く住む郊外の住宅地で、転校先の学校には中国、ブラジル、ヨーロッパから来た生徒がいた。日本人も親が駐在中の子や留学生など、学年に3、4人ほどいた。生徒数も多く、30人クラスが11クラスあった。たった2クラスしかなかったアットホームなカウラとはまるで違った。カウラでは私立校だったが、ロビーナでは公立校を選んだ。決め手は野球。実はカウラ時代も野球がやりたくて仲間たちとチームを作ろうとしていた。しかし、ホストファミリーの反対にあった。一方、ゴールドコーストはオーストラリアの中でも野球が盛んなエリア。この学校では体育の授業でも野球を選べたのがよかった。親としては私立に入れたかったようだが、公立もよかった。

 

icon_to_top野球に没頭する毎日

オーストラリアでは小学校が7年、その後、中高一貫で8~12年生と続く。ゴールドコーストには5つほどのクラブチームがあり、そのうちの1つに入部。チームは1学年10人ほどで、8~12年の5学年合わせて50人程度。練習は週2回、試合は週1回のペースで、上下関係もなく、和気あいあいで楽しかった。自分は俊足が売りで、セカンドとショートを守っていた。野球という共通の趣味があったから仲間もできた。英語を使うことも増えた。また、日本製の道具は優秀で、オーストラリアで持っていると注目を浴びた。チームには2012年まで在籍。日本での県大会に相当する、クイーンズランド州の大会に出たり、試合も数多く経験。ゴールドコーストの代表選手にも選ばれた。

 

icon_to_topロビーナでの最初のステイ先

野球には遠征がつきもの。ホストファミリーの手を借りないといけないことも多々あるため、野球をしている子どもがいる家庭という希望を出した。幸い、ロビーナの学校の同級生で、同じ野球チームに所属する子と妹がいる家庭にステイできた。おかげで、土日に遠征があっても理解して協力してくれた。結局、2010年、11年とこのステイ先に滞在することになった。

 

icon_to_topゴールドコーストでステイ先を移動(2013年)

2年後、同じロビーナでステイ先を移動した。以前のところも野球に理解は示してくれたし、ホストファミリーの人柄もよかったのだが、親子喧嘩が絶えないのが気になった。それと、最寄りのバス停から家まで徒歩30分と遠かったのも大変だった。

オーストラリアに来てから3番目となるステイ先は完璧だった。バス停にも近かった。両親に加えて、学年は1つ上だが同い年の男の子がいた(姉2人は既に結婚して家にはいなかった)。あとは台湾から来ている留学生の男の子1人。自分自身も17歳になり、自分で責任を取れる年齢になった。海外生活にも慣れ、要領が分かってきたことあるかもしれない。

 

icon_to_top日本での大学受験を見据えて勉強開始

ロビーナにきて2年目くらいから先々のことを考えるようになり、大学からは日本に戻ろうと思い始めた。日本だと高校1年生にあたる冬、オーストラリアでの夏休みを利用し、1ヶ月ほど日本に帰国した。そこで、予備校の冬期講習を受講することに。オーストラリアでの勉強はこれまでは中間と期末のテスト1週間前に勉強する程度だったが、11年生(日本では高校2年生頃)くらいから少しずつ受験勉強も開始。具体的には、日本の予備校のテキストを使って、英語と小論文の勉強をした。小論文は日本の予備校に郵送し、添削をしてもらった。

 

icon_to_top上智大学を帰国子女枠で受験(2014年)

2014年9月に帰国子女枠で受験。試験は英語と小論文と面接。英語試験のスコアを上げるため、直前まで日本の講師とのスカイプ授業にも取り組んだ。

 

icon_to_top長期留学を経て、正式に帰国

本帰国は2014年11月。日本にいると、やはりオーストラリアに戻りたいなと思うときもある。野球は存分に楽しんだので、大学では違うスポーツを始めようかと思っている。今興味があるのはラクロス部。あと、小2~6までテニスをしていたので、テニススクールのコーチのアルバイトもいいかなと思っている。

 

サポート&アドバイス

 

❶長期留学先の決め方

長期留学をお考えの場合も、まずは短期留学での開始がお勧め。(2週間~4週間)

長期留学を考えている行先であれば有意義だし、違う場所でもOKです

→短期留学で感じたこと、今後進みたい方面等考慮し長期留学先を相談の上選定します。現地でここでやれると感じた場所であれば、不安少なく自信を持って留学を開始できます。

 

❷予算の目安(小高くんの場合、年間)

学費・滞在費 約300万円(カウラ私立校)、200万円(ゴールドコースト公立校)

航空券 約50万円(年間2往復)*LCC利用可能な行先は安く済みます

海外旅行傷害保険 約20万円(年間)

カウンセリング・お手配代行・サポート費 39万円(初年度)

 

❸短期留学と違ったこと

☆ビザ申請が必要

☆ビザ申請・入学手続きに必要書類が多い

(戸籍謄本英訳、残高証明書、成績証明書や卒業証明書、健康診断や面接など)

カウラ留学時(初めての長期留学)サポート担当者がホストファミリーということで、すぐに何でも相談できる環境であったことが短期ではよかったけれども、期間が長くなりこの点が裏目に。特に滞在先での人間関係の問題は、長期留学では起こりうる状況です。

 

❹滞在先、内情

ホスト先は、広く一時滞在者にも好評の宿泊施設でもあり、サポート担当者がホストファミリーという理想的と思われた環境でしたが、数カ月間の滞在後、さまざま問題が起こり始めました。よくある長期滞在の問題点としては、コミュニケーションの問題が最も多く、その他、食べ物や物品の消費の問題(食事が足りない、食べ物、ペーパー類や燃料の使い過ぎなど)、アレルギーの問題等が多い。

 

❺ゴールドコーストを留学先に選んだポイント

何かの時に心のケア含めてサポートして下さる、教育者の先生が経営する語学学校があり、語学学校の日本人スタッフを含めフレンドリーな指導・サポートを提供していること。少年野球リーグがあり、選抜活動も可能なこと。以前より野球を思い切りやりたいという気持ちがあったことからトラブルをきっかけに思い切った移動を検討しましたが、問題があればすぐ学校やホストファミリーを変えるわけではありません。

 

実際に体験したからこそ、わかる 長期留学Q&A

 

Q.ステイ先の暮らしとは?
.「長期留学の場合、オーストラリアだとホームステイが多い。最後のステイ先は2階にシャワールーム付きのゲストルームが2室あり、自分と台湾人の生徒が間借りしていた。だから1つの家といってもあまり気にならない。家族とは仲良かったので食事の後にカードゲームをしたり、みんなで休みのときはビーチに行ったりもした。朝帰りしてもうるさく言われなかった」(渉くん)

 

Q.英語力はどれくらい必要?
.「英語はまったくできなかった。友達の名前も聞き取れないレベル。友達と話すときくらいは聞き取ろうと頑張ったけれど、授業に関しては、最初の1、2年間は完全に聞き流しいていた。それでもノートを写せば何とかなった。数学だけは語学は関係ないので理解できた。そのスタンスは変わらなかったが、いつしか耳が慣れて聞き取れるようになっていた。自分でもいつから聞き取れるようになったかはわからないが、高校生になったくらいから英語が理解できるようになったように思う。友達との会話はカウラのときからそれなりにできるようになっていたので、ロビーナに転校してきたとき、友達の輪には入りやすかった」(渉くん)

 

Q.現地での授業や勉強は?
.「勉強は面白いと思ったことはあまりない。普通に聞けるようになってからも楽しかったのは体育くらい(笑)。それでも、日本みたいに机に座ってじっと聞くというタイプの授業ではなく、グループディスカッションが多かったので気軽。日本より授業は楽しかった。先生もフランクで、夏は生徒たちもアイスを食べながら受講したり。日本は規律が厳しい。オーストラリア高校はある程度勉強すれば、日本と違って自由が多い」(渉くん)

 

Q.留学中の親との関わりは?
.「連絡は月に1回程度スカイプでとる程度。実際に会うのは、年2回ペース。母が1年に1回オーストラリアに来て、僕も1年に1度帰国するというペースだった」(渉くん)

 

Q.どんな気構えで留学すればいい?
.「細かいことを気にしていたら海外では前に進めない。気にせず、適当にするのがいいと思う。英語も「できない」「できない」と思わず、肩肘抜くことが大切。自分もまったくできなかった。でも、友達とは話したいから聞こうとするし、自分も話そうとする。そうするうちに話せるようになっている。頑張ろうと思わなくても何とかまわる。ただ、ゴールドコーストは海も近く、遊ぶところ(街やカラオケ、買い物)も多いし、野球もできる。18歳になればお酒もOK。なので、自分をある程度は律する必要がある。親がいないので、外遊びをせずとも部屋でもパソコン見れば1日中ネットサーフィンしてしまったりするので」(渉くん)

 

Q.留学中で辛かったことは?
.「最初に滞在したカウラでのホストファミリーとのトラブルです。留学中は色々なトラブルはある。ホストファミリーの当たり外れもあるし、学校で何か嫌なことがあってもホストファミリーに当たることはできない。自分はストレスのはけ口として野球があったのが良かったと思う。自分としては最初のカウラでのホストファミリーとのトラブルが一番辛かった。でも、トータルで見れば、あのときにトラブルがあったから、ゴールドコーストに出て野球に打ち込むことができた。そう思えば、あのときの経験も今に生きている」(渉くん)

 

Q.留学時代を振り返って思うことは?
.「丸5年、あっという間だった。オーストラリアは自由。食事や洗濯など日常のことはホストファミリーに任せられるし、遊びに行っても基本的には何も言われない。日本と違って、人の目を気にしないでいい。日本では決められた学校のレールがあって、中に入ってからも受験や部活など決まりきったレールがある。そのレールから外れると、なぜかと問いただされる。白い目でも見られる。はみ出しもの扱いされる。が、海外は違った。「何しに来ているの?」と聞かれ、「英語を勉強したかった」と言えば「あ、そうなの」で終わり。細かく詮索されることもない。生き方がみんなそれぞれ自由で束縛もなかった」(渉くん)

 

Q.留学で得たことは?
.「海外に出たら細かいことが気にならなくなった。環境がそうさせた。テスト勉強もみんな適当。対策勉強として、やる人はやるが、やらない人も多い。これまで1人で海外で生活してきて、時も流れ、数多くの経験を積んで、楽な気持ちで頑張ることができるようになったのか、「不登校時代の昔の自分」はいつの間にか消えていた。今の自分ならば、中学時代と同じ環境に置かれても平気だと思う。当時は大問題だったことも、今は些細なことに感じる。当時は小さなことも気にして学校に行きたくなかったが、そんな自分はもういない。不登校時代を振り返ると、本当に海外に出てよかったと思う。我慢して通うことも必要だとは思うけれど、きつかったら他の道を考えてもいい。日本だけが世界ではない」(渉くん)

 

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振り返ってみて、弊社のサポートはどう感じましたか?
(渉くん) 僕自身の知らないところで、学校側やホストファミリーに対して、細かい手配やサポートをしてくれていました。長年に渡り、サポートしていただき、とても感謝しています。

 

(お母様) 5年間という長期に渡ってサポートいただいたことは、私たち親にとって何より心の支えとなりました。息子にとっても私たちにとっても、留学をするという選択はとても大きな決断でした。期待よりも不安のほうが大きく、何をどうしていいか、わからないままのスタートでした。だからこそ、準備段階から細かい手続きまで、留学に関するすべてのことを、丁寧に、親切に、ご指導いただき、サポートしていただいたことに本当に感謝しています。特に、カウラからゴールドコーストへホームステイ先と学校を変えるときは大変なことも多く、難しい問題も一緒に悩み、助けていただきました。今となれば、この5年間の経験は渉にとって貴重な経験となり、感謝の気持ちでいっぱいです。また、彼にとって「野球」も大きな存在でした。多くの人と関わり、お世話になり、そして仲間とともに素晴らしい経験ができました。渉の人生にとって大切な時期を充実して過ごさせることができたことも感謝しております。大学受験の際も細やかにアドバイスしていただいたおかげで、希望の大学に合格することができました。ここまでの数々のサポートは「感謝」の一言では言い表せません。これからも温かく見守っていただけたら嬉しく思います。本当にありがとうございました。

 

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オーストラリア留学参考情報

 

オーストラリア|学校の特徴
クラスの生徒数は平均20~30人で、授業は、約15分間のホームルームの後、午前9時ごろに始まり午後3時ごろに終わります。放課後に厳しいクラブ活動や清掃などはなく、スポーツをしたり、好きな習い事をしたり、友達や家族と自由に過ごします。ただしホームワークはコンスタントにが出され、特に大学進学を目ざす11、12年生は、勉強も厳しくなっています。

 

オーストラリア|学校システムについて
オーストラリアの初等・中等教育(小学校から高校)は12年制ですが、日本のような6・3・3制ではなく、州によってシステムが異なります。1年生から6年生(または7年生)までが小学校、中学・高校は一貫教育でセカンダリースクール(SecondarySchool)またはハイスクール(High School)と呼ばれています。義務教育期間は学年ではなく6歳から15歳(タスマニアのみ16歳)までという年齢で定められており、一般的には10年生で義務教育を修了します。その後進学希望者は11、12年生に進み、将来希望する専門分野に沿った選択科目を選びます。オーストラリアには日本のような受験制度はありませんが、進学希望者は12年生終了前に各州の「統一高等学校資格試験」を受け高校修了資格を得た上で、その点数に応じて希望の教育機関に進みます。

 

学習科目
学習科目には、国語(英語)、数学、社会、科学、環境学、外国語、コンピューター、保健体育、技術、家庭科、音楽、芸術、演劇などがあります。また、多文化国家オーストラリアならではの、さまざまな外国語が教えられています。日本語は、いちばん人気の高い外国語で、多くの学校で教えられています。高学年になると、生徒の希望に合わせた選択科目が中心となります。将来の就職をふまえた実用的な科目も多く、希望に応じてワークエクスペリエンス(職業実習)の機会も手配されます。12年生では、科目の取り方によっては、図書館などで自主的に勉強する自習時間があります。

 

11~12年生の科目
用意されている選択科目は、学校によって異なります。専門学校と協力・連携体制をとっている学校も多く、専門学校によるユニークかつ専門的なコースを履修できる場合もあります。

 

学期/スクールカレンダー
オーストラリアの学校は、4学期制(タスマニアのみ3学期制)で、完全週休2日です。学年は、1月末(または2月初め)から始まり、12月中旬に終了します。各学期は約10週間で、学期と学期の間に2~3週間の休みがあり、学年末の12月から1月にかけて約6週間の長い夏休みがあります。

 

◎親の関わり方、サポートについて
現在はLINEやスカイプ等で海外のお子さんとも連絡が取れやすくなり、その分せっかく海外にいるお子様にまで、距離を感じずあれこれと口を出せるようになりました。お子さんは皆さん「順調だと連絡がこなくなります」緊急時のサポート、連絡体制は整えた上で行って過ごされていますので、連絡が来なくなったら落ち着きつつあると考え、少し離れて見守ってあげてください。連絡は用事のみ最小限にして。

何か問題が起こった場合、 現地(学校やサポート会社など、又は留学生本人直接) → 弊社 →ご両親(→留学生本人)といった形で相談しつつ対処していきます。

 

 

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